身近なことから考えてみませんか
〜人権感覚を豊かにしましょう〜
人吉球磨人権教育研究協議会 上球磨ブロック社会教育部会研修会
水上村 岩野公民館
平成20年7月8日


 皆さん今日は。ただいまご紹介いただきました中川です。よろしくお願いします。
 私が牛深小学校に赴任したときのことです。校長室にあいさつに行くと、校長先生は私の顔を見つめながら、「あたはほんなこて中川先生な。私は職員に今年は女性の先生が赴任してくると紹介していたのに。あたはほんなこて中川先生な」と私に念を押されました。私の名前を「ゆき」または「ゆうき」と読まれたのでしょう。だから私を女の先生と思い込まれたのだと思います。
 私はレジュメにも示していますように「有紀」と書いて「ありとし」とよみます。65歳になった今でも、小学校や中学校の同級生、幼なじみからは「ありちゃん」とよばれています。
 「有」という文字は、上に「保」という文字を付けると「保有する」と言う熟語ができるでしょう。「有」は「保つ」という意味があり、「たもつ」とも読みます。父の名前は「有」で「たもつ」でした。「紀」は「21世紀」の「紀」で、「年」という意味がありますね。そこで、「年(紀)を重ねて年相応の分別ができるような人間になれ」との願いを込めて父が付けてくれた名前です。私はこのようなすばらしい名前を付けてくれた父、お前の好きな道を歩めと応援してくれた父を尊敬しています。
 それで、「ありちゃんのホームページ」と題してホームページを開設しています。インターネットをご利用になる方は「ありちゃんのホームページトップ」で検索してみてください。

 ところで、本日は7月8日です。7人の方が亡くなった秋葉原事件からちょうど1ヶ月です。日曜日の歩行者天国で思い思いにその日を楽しんでいるところへ、トラックでとび込み、無差別に人をナイフで刺すという事件でした。突然のできごとで、しかも一瞬のできごとで、何が起きたか分からないまま命を奪われた方は、さぞ、苦しかったことでしょう。無念だったことでしょう。かけがえのない家族の命を失った遺族の方の悲しみや憤りに思いを馳せると、このような事件は絶対に起こしてはならないと強く思います。
 平成11年4月20日、アメリカコロラド州デンバーの高校で13名の犠牲者が出る銃乱射事件が起きました。私が勤めていた先生達に「10年後、20年後の日本でこのような事件が起きないよう人命尊重及び人権尊重の精神を中心とした心の教育を強く推し進めましょう」と訴えました。
 10年も経たないうちに日本国内でも無差別殺人事件が相次いでいます。平成13年大阪池田小学校児童殺傷事件、今年3月の茨城県土浦市での殺傷事件、岡山駅では、電車を待っている人を後ろから突き落とす事件等、これまで考えもしなかった通り魔事件が起きています。
 その犯人に共通することは、「生活に疲れた。世の中が嫌になった。誰でもよかった」と社会に対して厭世的になってしまっていることです。識者は、成長過程において、失敗体験や挫折体験から立ち直ることができなかったのではないかとも指摘しています。今朝の熊日新聞に「秋葉原事件が問うもの」という記事が載っていました。評論家の芹沢俊介さんは「良い子求める教育家族 挫折で孤独感を抱え込む」と題して、家族と社会で存在意味を否定され、ネット上のつながりだけが命綱で、崖っぷちにぶら下がっている孤独な若者のイメージが浮かんだと述べています。
 高校出てから負けっ放しの人生と書いた容疑者は、よい子ができなくなったことで家族の中で、その存在意味を否定されたのではないか。
 自分というかけがえのない存在に対する必要性から職場で求められているのではなく、消耗品のように必要なくなれば簡単に交換されてしまう存在、つまり、社会からも存在意味を否定されたという思いが強かったのだろう。
 家族と社会でその存在を否定され、かろうじて孤独感をいやし自分の存在を感じ取ろうとしてのめり込んだネットでも存在を認められず、最後のよりどころを失ったのではなかろうかと述べています。 
 私は、この挫折体験や失敗体験から立ち直る基いは「自尊感情」だと思います。
 このことについては後半で詳しく述べます。
 ここでは、桑原律さんの「『だめっ子』はいない」を一緒に読んでみましょう。


     「だめっ子」はいない
                  桑原律
 この子はだめな子ね
 そう言われて
 未来への夢を失いました
 あの子はだめな子ね
 そう言われて
 希望を失いました

 「学力が低いから」
 「動作がのろいから」
 「黙っている子だから」
 「からだに障害がある子だから」
 「生まれがちがうから」

 さまざまな理由をならべ
 「だめっ子」扱いをすることは
 人間としての存在を否定すること
 誰にも無限の可能性があり
 誰にも未来への夢があり
 自らの人生への希望がある

 それぞれの良さを見つけ
 おたがいに励ましあってこそ人間
 それぞれの個性を認め
 おたがいに支えあってこそ人間
 「だめっ子」は一人もいない
 「だめっ子」はどこにもいない

 今、学校では「認め、褒め、励まし、伸ばす」をスローガンに教育が展開されています。この「認め、褒め、励まし、伸ばす」は家庭でも、地域社会でも行うものだと思います。
 ところが、「認める」「褒める」「励ます」「伸ばす」ことの重要性は十分分かっていてもいざ実行に移すとなるとなかなかできないものです。私たち大人が心豊かに生きいなければできないものです。イライラしたり、悩んでいたりしていては見えるものも見えてきません。
 先ほど紹介がありました一昨年の多良木町での家庭教育講演会で話しましたが、朝の食事の後片づけの時、急いでいたものですから一度に食器を運んでいて、おかずの残りを床にこぼしてしまいました。「しまった」と思ってこぼれたものを拾い集めていますと、妻が「なんば騒動しよるとね」と言います。わけを話すと「こぼしたつね。拾えばよかたい」といっしょに拾い始めました。いつもなら「この急がしか時に、そぎゃんこつするけんたい」とものすごい剣幕で言うところがこの日は妻の虫の居所がよかったのです。
 虫の居所と言いましたが、いつも心平静に物事を見ることができるようにしたいものです。それには、健康で、夫婦が相和し家族仲よく過ごすことだと思います。

 前置きはこのくらいにして、本題に入りましょう。

 写真の女性はいくつくらいに見えるでしょう?


 おばあさんに見える人?(10人程度挙手) 


 少女に見える人?    (10人程度挙手)


 どちらにも見える人? (8人程度挙手)

 最初におばあさんに見えた人にとっては、少女にはなかなか見えないでしょう。その逆もありますね。
 どうしても少女に見えない人は、「おばあさんの鼻」を「少女の顎」に、「おばあさんの唇」を「少女のネックレス」と見てください。どうですか?
 この絵を見て次の3つのことを皆さんに気づいて欲しいのです。
 一つは、見方を変えることの難しさです。最初に知ったこと、感じたことを変えるのはかなりの労力が要ります。そして、それが難しいです。だから私たちは出会いが大切なのです。
 二つは、見つめ直しの大切さです。違う角度から見つめ直してみると、これまでと違ったものが見えてくることがあります。「こうだ」と決めつけないで見つめ直すことを日頃の生活の中で取り入れて欲しいと思います。
 三つは、一つの見方に注目すると、他が見えにくくなることです。人権問題も同じで、「差別は社会問題だ」と強調しすぎると「差別は人間個人の課題でもある」ということを忘れがちになります。逆のこともあります。
 人権問題は社会問題であると同時に人間個人の課題であることをきちんととらえておくことが大切です。

 その人権を守ることについて日常生活の中のたくさんの素材の中から考えてみましょう。
 「息子よ、息子!」というお話をします。既に聴かれた方はもう一度温め直してください。初めての方は目を閉じて一生懸命聴いてください。
 
         息子よ、息子!
     路上で、交通事故がありました。
     大型トラックが、ある男性と、彼の息子をひきました。
     父親は即死しました。
     息子は、病院に運ばれました。
     彼の身元を、病院の外科医が確認しました。
     外科医は、「息子!これは私の息子!」と悲鳴をあげました。

 今、話を聞いてストンと胸に落ちましたか?
 何かおかしいところはありませんでしたか? (即死した父親が私の息子というのはおかしいなどのつぶやきが聞こえる)
 外科医は、この息子の何にあたるでしょうか? (外科医が母親ならこの話は胸に落ちるとの意見が出る)
 答がすぐに出なかったのは、どうしてでしょか? (外科医は男性とばかり思い込んでいたとのつぶやきが聞こえる)
 そうです。外科医を男性医者と思い込んでいたからです。外科医が女性であると分かればすっと胸に落ちるでしょう。
 知らず知らずのうちに、私たちの意識の中に、男性や女性の職業に対する固定観念や思いこみが自分にもあると気づかれた方もおいででしょう。自分では全く気づかずに、誤った思いこみや偏見を心に植え付けてしまうことがあるのです。
 では、どうしてそう思い込むのでしょうか?

 皆さん、魚の絵を描いてみましょう。(3分程度自由に描く) (ほとんどが頭が左向きの魚を描いている。3人が右向きの絵を描いている)
 どなたか、ここに描いてくださる方はいらっしゃいませんか?
 (右向きの魚を描いた人と左向きの魚を描いた人に描いてもらう) 
 すばらしい魚の絵を描いていただきありがとうございました。皆さん拍手で褒めてください。
 ここでは、「絵が上手」かどうかを問題とするのではありません。描いた魚の頭はどちらを向いているかを問題としたいのです。
 ここに描いていただいた○○さんと同じ右向きを描かれた方?(3人挙手)
 ○○さんのように左向きの方?(ほとんどが挙手)
 ほとんどの方が左向きです。
 どこの研修会でも、本日のようにほとんどが左向きの魚を描かれます。どうしてそうなると思われますか? (料理では魚は左向きに置く、写真や図鑑で見る魚はほとんど左向きなどのつぶやきが聞こえる)
 そうですよね。魚の写真や絵はほとんど左向きです。あるところでは料理に出す魚は左向きと決まっているという話を聞いたこともあります。私たちの毎日の生活の中にある絵や写真、料理で見る魚の頭はほとんどが左を向いていますね。私たちは空気を吸うごとくに無意識のうちに「左向きの魚」を学習しているのです。右向きの魚の絵を描かれた3人の方は自分の考えをもっておられてすごいと思います。

 では、次に牛の絵を描いてみましょうか。
 ここでは、頭で牛の姿をイメージしてください。色を付けてください。
 今日は、皆さんがどんな牛をイメージしておられるか楽しみにして来ました。
 お尋ねします。
 あか牛をイメージした方?(15人程度)
 くろ牛の方?(10人程度) 
 白黒のホルスタインの方?(たくさんの人)
 阿蘇郡産山村で聞いたときは、全員があか牛でした。
 天草で聞いたときは、くろ牛の方が多かったのです。
 私は、白黒のホルスタインをイメージします。私は農家の長男で、小さい頃乳牛を飼っていました。牛を運動に連れて行ったり、草切りに行ったりしながら白黒の乳牛の世話をしていました。
 どうしてこんなに違った牛の色をイメージするのでしょうか?
 それは、自分の身近にいる牛が直ぐに浮かぶからです。これを刷り込みといいます。この刷り込みが時として、思い込みとなり、そして偏見になることがあるのです。
 人はだれひとりとして「偏見」を持って生まれてくるわけではありません。私たちは、子どものころから、空気を吸うように「紋切り型の考え」を無意識のうちに身につけていきます。

 次に、ある町内会での話し合いの場面を書いた文章を読んでみます。不快に感じる言葉があったらメモしてください。
(司会)「本日は、お足元の悪い中、ご出席いただきありがとうございます。それでは、早速説明させていただきます。私、若輩者ですので、十分な説明にならないかも知れませんのでよろしくお願いします。・・・・・(中略)
 以上です。舌足らずな説明になりましたが、若造ゆえお許しいただきまして、ご意見をよろしくお願いします。時間の関係もありますので、手短にお願いします。」
(参加者)「年寄りが口出すものではないかも知れませんが、一つだけ言わせてもらいます。・・・」
(参加者)「女、子どもの意見にろくなものはないと思わずに、私たちの願いに耳を傾けてください。・・・」
(司会)「以上で終了します。先ほどの件につきましては、会議の方は奥さん方に出席していただいて、役割の方にはご主人を載せるということでよろしいでしょうか。」
 今読みました文章の中の言葉には、相手に不快な感じを与えるものがあります。不快に感じられたことばがいくつかあったでしょう?
 「舌足らずな説明」「女子どもの意見にろくなものはない」など、不快に感じられたでしょう?
 説明不足をこのような表現をすることはおかしいことですね。身体の一部を使った言い表し方がたくさんあります。「手短に」もそうですね。身体の一部を使った言葉の中には「不快」いや「差別的響き」を感じる場合があります。
 6年生は長崎へ修学旅行へ行くでしょう。長崎では原子爆弾の投下でたくさんの犠牲が出ました。その中に爆風で、鳥居の片方が吹っ飛んで足が1本で立っている鳥居があります。これを以前は片足鳥居と表現してありましたが、今は「1本足鳥居」と呼び方が代わっています。これは、これまでの同和教育、人権教育の成果だと思います。
 「年寄りが口を出すものではない」の言葉も高齢者差別につながりますね。

 次のそれぞれの言葉や表現について、どの程度差別的表現が含まれていると思いますか。
 「差別的表現は含まれていない」「少し含んでいる」「かなり含んでいる」「非常に含んでいる」「わからない」の該当するところに印を付けてみてください。(5分程度各自で考える)
 「父兄」という言葉はどうでしょうか?
 ほとんどの方が、「含んでいる」と思っていますね。これは、戦前の家父長制の名残や男性社会を示す言葉ですね。学校では保護者と言っていますね。今、父兄という人はほとんどいないと思いますが、時々、テレビや新聞、雑誌などでこの言葉を聞いたり目にしたりすることがあります。まだまだ、啓発が必要です。
 「良妻賢母」はどうでしょう?
 「分からない」に○を付けた方も多いようです。皆さんは「3従の教え」という言葉を聞いたことはありますか?「家にあっては父に従い、嫁いでは夫に従い、夫死しては子に従う」というものです。あくまで男性を立てて、子育てをし、自分を犠牲にする生き方を言っています。女性蔑視と感じる人が多いですね。
 「片手落ち」は先ほど言いましたね。
 「らい病」はどうでしょうか?
 かって「らい病」は公的な使われ方をしていましたが、現在では差別語です。「ハンセン病」といっていますね。
 「知的障がい」はどうでしょうか?
 「精神薄弱」という言葉が不快感を与えるなどの議論があり、それに代わる言葉として「知的障がい」が使われています。
 「同和」はどうでしょうか?
 「同和」の語源は、「同胞一和」とか「同胞融和」の略と言われています。「同和地区」、「同和行政」などと使われてきましたが、「同和の人」などと差別的に使われてきた経緯もあります。「同和」という言葉だけを使うことは差別性を含む表現として不適切です。先ほど言いましたように「同和行政」とか「同和教育」などのように複合語で使います。
 「文盲率」はどうでしょうか?
 字が読めない、書けないことを目が見えないことに例えています。目が見えなくとも様々な手段で読み書きが出来る人は多いですね。「非識字率」という言葉を使います。
 「痴呆症」の「痴呆」の意味や感じ方が不快であることから「認知症」という言葉を使っていますね。
 「と殺場」の「と殺」は差別語です。「殺す」という言葉から職業差別につながる響きがあります。「と場」とか「食肉処理場」という言葉が使われています。
 「バカチョンカメラ」はどうでしょうか?
 この「バカチョンカメラ」の言葉で次のような話を聞いたことがあります。韓国旅行をした人が、使い捨てカメラを取りだして、近くにいた韓国の人に「これで写真を撮ってください」と頼んだとき、韓国の人が「どうすればよいですか」と聞きました。「このカメラはバカチョンカメラですからこのシャッターを押すだけです」と言ってにこにこしながら写真を撮ってもらったそうです。ところが写真を撮った韓国の人は目にいっぱい涙をため、体が震えていたそうです。観光旅行に韓国に行った人はこの「バカチョンカメラ」が差別語、韓国や朝鮮の人を差別する言葉とは知らなかったのです。
 皆さんはご存じでしょう。「バカ」は「馬鹿」、「チョン」は「朝鮮半島の人々」を指し、それらの人々に対する蔑視的表現で差別語という意見があります。「使い捨てカメラ」また、「インスタントカメラ」と言った方がよいでしょう。
 「外人」は「害人」を思い起こさせると言うことから蔑視的響きを感じる外国人が多いそうです。ただ、「外人墓地」となると響きが違います。
 「表日本」「裏日本」、私は小学校の頃社会科でこのように習いました。しかし、「裏」という言葉にマイナスイメージを持つ人が多いのも事実です。今は、「太平洋側」「日本海側」と言う表現をしていますね。ちょうど今、北海道洞爺湖ではG8サミットが開かれています。温室効果ガスである二酸化炭素排出量削減数値目標が話し合われていますが「途上国」という言葉が使われているでしょう。以前は「後進国」という言葉でした。
 「でかした!男の子が生まれたぞ」個人の気持ちとして、「男の子が生まれた」は信条の自由ですが、これが広告となると女性差別を助長する表現ですね。
 「歩くから人間」という広告には、多くの人から抗議があったそうです。特に障がいがある人や関係者に対して極めて不快感を与えます。
 これまで見てきましたように、発言する方は差別しようと思わなくとも、その言葉を聞いた人が極めて不快を感じたり、差別感を持ったりすることがあることが分かったと思います。
 身の回りのことをもう一度見つめ直すことが大切です。

 日常の生活の中で人権感覚を育てることはとても大事なことと思います。
 皆さん、小さい頃よく歌われた童謡「七つの子」を一緒に歌ってみましょうか。

烏 なぜ啼くの 
烏は山に 
可愛い七つの 
子があるからよ
可愛い 可愛いと 
烏は啼くの 
可愛い 可愛いと 啼くんだよ
山の古巣に 
いって見て御覧 
丸い眼をした いい子だよ

 ありがとうございました。日本の童謡の中でも、最も広く知られた名曲のひとつですね。
 野口雨情がなぜ詩の題材として、カラスという鳥を選んだのでしょうか。
 黒い鳥であるカラスが鳴くと、不吉な事が起きるという古来からの迷信があり、そのためカラスは“不吉な鳥”として嫌われてきました。
 ここ、上球磨でもこのような迷信がありますか?(頷いている人がいる)
 カラスの鳴き声を、子煩悩な親鳥の呼び声として表現したもので、雨情らしい暖かな視線を注いだ詩ですね。黒いから不吉な鳥と決めつけることのおかしさを私たちに説いているようです。

 1月、恵楓園に研修に行きました。ハンセン病に関する間違った理解が元で数多くの差別事件が起きたことは皆さんご存じの通りです。
 その中で、昭和29年に龍田寮児童通学拒否事件というのがあります。
 菊地恵楓園に入所している親をもつ子どもが生活している竜田寮の子どもが、地元の黒髪小学校に通学することにPTAの間から反対の声があがるという、通学拒否事件です。
 「ハンセン病はうつる病気、恐ろしい伝染病」と思いこんでいたことにより、ハンセン病患者への偏見と恐怖により起きた事件です。竜田寮の子ども達の登校に反対して、同盟休校へと発展したのです。当時の熊本商科大学長が竜田寮の子どもを引き取り、そこから通学させるということで、解決しました。
 「黒髪小PTAの反対派をそこまでかりたてたのは、ハンセン病は恐ろしい病気である、うつる病気であると人々が思いこんでいたからです。わが子を思うあまり取った行動であったと思います。このとき、伝染力は極めて弱く、うつることはないとの理解が出来ていればこのような事件は起きなかったでしょう。無知、知らないことは偏見を生みます。偏見は差別につながります。物事は正しく理解することが大切です」と元恵楓園長由布先生から聞いたことがありました。
 私たちの生活の中には、このように意図しない学習や教育の結果は多いものです。部落差別をはじめあらゆる差別をなくす行動力を身につけるために、毎日の生活の中で偏見や差別意識を正すために学習することが当たり前になることが大切だと思います。
 差別を見抜く力、差別を許さない力、差別をなくす力は豊かな感性がその基礎だと思います。
 このことを中学生は、人権学習の中で学んでいます。
  知らないことから「誤解」が生まれる。
  「誤解」をそのままにしていると「偏見」になるんだ。
  「偏見」をそのままにしていると「差別」になるんだ。
   「くすのき 中学校用人権教育資料(熊本県教育委員会)」

 新聞切り抜きを見てください。孫が1年生の時、通知票を見せたとき、三重まるが3つほどあったんです。「なんか、三重まるはたった3つしかなかじゃなかか」ではなく、「うわー、三重まるが3つもある」と褒めたのです。そのときのことを書いています。

        子どもをほめて自己実現増幅

 小学校1年生の孫が通知票を持って来た。通知票には、学習の様子、係の役割、出席状況、身体の様子、そして子どもの学校での暮らしぶりが所見として担任の先生の心温まる言葉で、実に丁寧に書き記してある。
 所見を声に出して読み、「うわー、2学期は1日も休まなかったんだね。体が丈夫になったね。『計算ができる』や『本読みができる』は、三重まるになっている。勉強もがんばっているね。係の仕事も一生懸命している。お友達とも仲良く遊んでいる。すごいぞ!」とほめると孫は、はにかみながらもうれしそうに「学校は楽しいよ。」と声を弾ませて応える。家族一人ひとりに通知票を見せながら、学校での様子を話している。その得意げな顔。瞳が輝いている。
 自分がしたことを人から認められたり、ほめられたりすることで存在感や有用感を実感する、いわゆる「自己実現」を味わっているのであろう。この自己実現が、現在はもとより生涯にわたっての学習意欲をかきたてる源であるという。公民館講座やカルチャーセンターなどで学んでいる意欲旺盛な人のほとんどは、小中学生時代に「自己実現」を実感する機会が多かったようだ。
 子どもたち一人ひとりの学習や生活の様子などつぶさに観察し、通知票にまとめて保護者に伝えることは大変な労力であろう。先生方のご苦労に頭が下がる。心を込めて作られた通知票をもとに家庭でも子どもたちを認め、ほめ、励まし、伸ばしたい。このことが子どもたちの「自己実現」を増幅させ、学習意欲旺盛で主体的に生きる人づくりにつながるはずだ。

 時間がありませんので、残りは家に帰ってから読んでください。
 人権感覚を育むには、認め、褒めて自己実現を実感させ、自尊感情を育むことがとても大切だと思っています。と同時に、心を揺り動かす体験を数多くさせ、感性を豊かにすることだと思っています。
 しかし、今心を揺り動かす体験の機会が少なくなっているようです。
 何とか工夫して情動体験を積ませたいものです。
 柳田邦夫さんは、「壊れる日本人」〜ケータイネット依存症への告別〜という本の中で、死を目前にしている患者が入っている病室に、心拍数、心臓の鼓動の波形などを示すモニターを病室に設置しているところが多い。病室に詰めている家族の目は、どうしてもモニターに向かう。患者の枕元で手を握り、顔を見つめて、別れの言葉をかけるという別れの行為を誰もが忘れていることに誰も気付かない。医者から「ご臨終です」と言われて家族は死者の顔を見ることになると書いています。
 これではおかしいと最近では、モニターは看護師の詰め所などに置いてある病院が増えたそうです。
 私の父は、17年前になくなりました。父は生前、「我が家で死を迎えたい」と言っていました。父は我が家で、家族や親族みんなが見守る中で眠るがごとく息をひきとりました。息をひきとるまで、母は、両手で父の手をしっかりと握りしめ、無言で父を見つめていました。父の弟妹「たもっちゃん、たもっちゃん」と名前を呼び続け、私たち子は「父ちゃん、父ちゃん」と、孫たちは「おじいちゃん、おじいちゃん」と呼び続けました。次第に冷たくなる父の体をみんなで必死でさすりました。私は、「父ちゃん、これまでありがとう。これからも俺たちを見守っていてはいよ」とこみ上げる悲しみを必死でこらえながら父に語りかけました。息をひきとると、みんながわっと泣きながら父の体を抱きしめました。
 私は家で死を迎えるのが良いというのではありません。人の誕生や死に立ち会いながらその中で「生きる」とはを考えたいと思います。心を揺り動かされる体験から人権感覚は生まれ、磨かれていくものと思います。このような体験がいっぱいあったなら、おもしろくないから等の理由によって人の命を奪うなどできないはずです。
 今の子どもたちには、心を揺り動かされる体験を数多くさせたいものです。
 こちらは秋には紅葉がきれいでしょう。市房ダム周辺の桜は見事でしした。これらを見て「うわーきれい」と感動すること。このような経験を数多くさせたいものです。そして、感動を2人、3人で共有するとその感動が増幅します。
 夏の花火大会でのことです。2組の対照的な親子に出会ったことがありました。近頃の花火には、尺玉といってとても音が大きく、空いっぱいに広がる花火があるでしょう。その花火を見て「うわー、きれいか」「うわー、音の大きか」と手を取り合って楽しんでいる親子がいました。一方、子どもが「うわー、美しか」「うわー、音ん太か」と言うと、「せからしか。黙って見とかんね」と子どもを叱る親がいました。どちらの子が感性豊かになるでしょうか。感動はなるべく多くで共有したいものですね。
 日常生活の中で、人権上問題のあるようなできごとに接した場合に、直感的にそういうできごとはおかしいと思う感性や、日常生活において、人権への配慮が態度や行動に現れるような人権感覚を豊かにしたいものです。

 平成19年度全国中学生人権作文コンテスト熊本大会で、県教育委員会賞を受賞したという人権作文を読みます。


            「同情なんて」
                                                          菊鹿中3年 古閑千絵美
 「同情なんていらない。同情が欲しいわけではない」。この言葉が私の心につきささりました。
 あなたは差別や偏見がいけないと分かっていても偏見や差別をしていない自信がありますか。私は今年、3年生になりハンセン病について学習し、ハンセン病の知識や、らい予防法、無らい県運動のことなど学習しました。また、このような学習をして自分なりに、家族と離ればなれになった人、家族にハンセン病の人がいるというだけで村八分に合うようになってしまった親類の気持ちを考えたりもしました。
 そして実際に国立療養所の恵楓園を訪れました。私は訪れる前に、ハンセン病は伝染しにくく、伝染したとしても治る薬がある。ということを勉強していたけど正直少し怖かったです。この時、私の心にはとても小さな差別心があったのではないかと思います。
 そして私たちは恵楓園につき、最初に園内の見学に行きました。1番衝撃だったのが監禁室を見たときです。ドアを開けると薄暗く、牢屋のようなものが2つありました。この中に閉じこめられていたと思うと、鳥肌がたつほど怖く、悲しみで胸がしめつけられました。牢屋の中の壁には、日付を表してある棒線や何か文字が書いてあり、閉じこめられていてもいつか出れると希望を持ち続けた人の気持ちが痛いほど伝わってきました。また、火葬場と納骨堂を見たときは、死んでもこの恵楓園から出られなかったんだと思いました。このような差別を2度としてはいけないんだと思いました。 次に、実際に恵楓園の入所者の方のお話を聞きました。その話の中で胸が痛んだ点が2つありました。1つ目は「なんでハンセン病患者だった人だけ“元”がつくんですか」という言葉です。確かに私たちは風邪をひいていた人に、元風邪をひいた人なんて言いません。私たちは差別をしていないつもりでも、知らず知らずのうちに差別をしてしまっていたのです。
 そして2つ目は、「同情なんていらない。同情が欲しいんじゃない。普通に接して欲しいだけ」という言葉です。私は相手を傷付けないように、差別をしないように。と同情をしていた部分があったような気がします。この時私は、とても胸が痛く、差別をしていないと思っていた自分が差別をしていたということに気づきとても悲しかったです。そして私は思ったのです。勉強したり資料を見たり、色々な思いを考えたりするのも大切だけど、実際に体験したり、話したり、ふれ合ったりしないと一番大切なものは学べないと言うことを。
 だから私は今、していることがあります。それは合志中学校と共同でしている、恵楓園内の清掃活動です。この清掃活動を通して、“恵楓園の元ハンセン病患者の方ではなく、恵楓園のおじいちゃんおばちゃん”と呼べるような関係になれたらと思います。実際に体験したり話したり交流したりして学ぶことをしっかり学びとろうと思います。 最後に、恵楓園を訪れた時、私に話してくださった方が、「生きるとは何か。人間とは何かを考えて欲しい。差別される命はありえない。みんな平等なんだ。今、あなた達にできることは、今できることを考えること」と言って下さいました。だから私は、今の私にできることを考え、それを実行していこうと思いました。もっと一人ひとりが差別に対して興味を持ち、偏見や差別などの人権問題に目を向け、考えを深めていってほしいです。また、生きるとは何か。人間とは何かを考え、もっと命を大切にして欲しいです。地道でも良いので、少しずつ差別がなくなっていけばいいなぁと思います。

 いかがでしたか?中学生がこのような考えで毎日を生きていること、とてもすばらしいことです。
 もう一度読み返して、古閑さんの思いを共有したいと思います。

 おわりに桑原律さんの「人権感覚とは何ですか」を一緒に読んで終わりにします。しばらく黙読して下さい。
 では一緒に大きな声で読みましょう。


  「人権感覚」って何ですか
              桑原 律
「人権感覚」って何ですか
それは ケガをして
苦しんでいる人があれば
そのまますどおりしないで
「だいじょうぶですか」と
助け励ます心のこと

「人権感覚」って何ですか
それは 悲しみに
うち沈んでいる人があれば
見て見ぬふりをしないで
「いっしょに考えましょう」と
共に語らう心のこと

「人権感覚」って何ですか
それは 偏見と差別に
思い悩んでいる人があれば
わが事のように感じて
「そんなことは許せない」と
自ら進んで行動すること

「人権感覚」って何ですか
それは
すどおりしない心
見て見ぬふりをしない心
他者の苦悩をわが苦悩として
人権尊重のために行動する心のこと

 ありがとうございました。本日は私の思いを一方的にお話ししてしまいました。午後の一番眠い時間帯にも関わりませずお一人も居眠りされる方もいらっしゃらないで熱心に聞いていただきありがとうございました。
 人吉・球磨地区と言わず、世の中すべてで互いの人権が大切にされ、明るい住みよいまちづくりが推し進められますことを祈念して話を終わります。ご静聴ありがとうございました。
 


                       上球磨ブロック人権教育研修会 参加者感想

○ 今日はこの研修会に参加して良かった。
 命の尊さをはじめ、人間一人ひとりの存在を認め、褒め、励ますことは自分の心が豊かでなければできないという家庭からの人権教育を私も一つ一つ考えながら進めていきたいと思います。

○ 「時として、思いこみが偏見となり差別につながることがある」は、仕事をする上でも考えなければならないことです。
  たいへん考えさせられました。

○ 人権に対するすばらしい講話たいへん良かったです。
  たいへん参考になり、自分自身も人権について見つめ直してみたいと思いました。

○ たいへん考えさせられました。
  「思いこみ」「偏見」、知らず知らずにあたりまえ化していることを改めて思い知らされました。
  本日この研修会に参加でき、たいへん得をした気分です。家、学校、PTAに持ち帰り、再見していきたいと思います。

○ 思いこみだけで人、ものを判断しない、見つめ直すこと。
  自尊感情は自分を大切にすると共に人をも大切にするということ。
  事例を挙げての説明でよく分かりました。思いこみではなく、見つめ直すことの大切さがよく分かりました。
  人権とはと考えると、難しいことのように思いますが、今日の講演で少し理解できたような気がします。
  これからよく考え、地域の人と関わっていきたいと思います。

○ 人権感覚を養わなければならないと思います。
  自分自身を大切な存在と認めあい、これからの人生を前向きに生きていきたいと思います。

○ 私たちは日頃この仕事は男性、この仕事は女性と考えて思い込んでしまう自分勝手な思いこみを考え直すことの大切さ、日頃何となく知らず知らずのうちに使っている言葉が相手を傷付けていることに気づき、考え直すことの大切さを知りました。

○ 身近な教材をもとにした研修でした。
  今後も研修会の開催を望みます。少しでも多くの人に参加できるよう計画願います。

○ たいへんすばらしい講話ありがとうございました。
  また、会える日を楽しみにしております。
  眠くならず感動ありがとう。

○ 身近にある問題をとりあげて、分かりやすい言葉での講話は、肩がこらずにたいへん良かった。
  講師の出席者との問答に眠気が逃げていった。

○ 「日常生活においての思いこみが時として偏見につながることがある」という講師の言葉に「ドキッ」としました。
  命の尊厳を子どもたちに伝えていきたい。

○ 日頃改めて考える機会が少ないせいか、とても充実した時間を送れたと思います。
  自分は差別はいけないと自覚するだけでなく、どうしていけないのか、何がダメなのか考えることで自分の気持ち、相手の気持ちを理解することにつながるのかなと思います。
  ありがとうございました。

○ これまでに勉強したこともあったが、改めて見つめ直す機会となった。
  飾り気のない話しぶりに好感を持った。

○ 思いこみや偏見が差別につながることがあること、自分でも知らないうちに差別的表現を使っていることがあることに気づかされました。

○ ためになる話をありがとうございました。
  いくつになっても人権感覚を養っていきたいと思います。
  常日頃の言動を反省しつつ、今一度資料を見ながら今日の講話を反芻してみます。

○ 人権について、今までの自分の人権に対する考えを見つめ直してみたいと思います。

○ 日頃から気をつけていることですが、思いやりの気持ちで周りと接していくことを心がけたいと思います。